弁護士法人英明法律事務所の事務所報『Eimei Law News 』より、当事務所の所属弁護士によるコラムです。

事実の書き方の視点

    中小企業法務研究会  訴訟戦略部会  弁護士  笹山  将弘 (2015.04)

1   事実を書け、評価を書くな

前回の原稿でも触れた通り、重要なのは「事実」です。「評価」ではありません。文章は「事実」で紡ぎましょう。

2   時系列で書け

時系列というのは、実際に起こったことを起こったまま再現するということです。わかりやすさという点でも、文章にリアルさを出すという点でも、意味のあることです。
   但し、用語の説明等、時系列が関係ない場合には、話題ごとにタイトルや段落を設けて時系列(物語)と区別して書くべきでしょう。

3   視点を統一せよ

少し前の原稿で「能動態を意識する」ことを書きました。そして、その効能に「主語を意識できる」ことが挙げられることにも触れました。単純に申し上げると、視点を統一するとは、主語を依頼者に統一するということです。体験した主体も依頼者に固定してしまいましょう。

例えば、神様の目から見た真実は、以下のような事実経過だとしましょう。

  •     Aは午前9時に家を出た。
  •     Aの交際相手のBが、午後1時にAの家を掃除しに来た。
  •     Bが午後5時にAの家から帰った。
  •     BがAに、午後7時に、「Aの家の掃除をしておいた」とメールした。
  •     Aが午後8時に仕事を終わり、メールを見た。
        これでAはBが家を掃除してくれたことを知った。
  •     Aが午後9時に家に帰ると、部屋が片付いていた。

この事実経過を、Aを主語にし、Aの体験に統一してみると、以下のようになります。

  •     Aは午前9時に家を出た。
  •     Aは午後8時に仕事を終わり、メールを見た。
  •     Bからは午後7時にメールが来ていた。
  •     Aはそのメールで、Bが家を掃除してくれたことを知った。
  •     Aが午後9時に家に帰ると、部屋が片付いていた。

Aの体験に統一することの良さは、フィクションが入らないことです。どうしても体験した主体が複数出てくると、「神様の目」というフィクションが入ります。その結果、曖昧又は不正確な記載が出てくる可能性があります。
   主張や事実の整理等のために、神様の目から見た真実の視点が必要になることは否定できませんが、体験した主体を依頼者に固定することで曖昧、不正確、予測に基づく記載を排除することができます。

4   ディテールを捨てよ

「事実」を書けといっても、書けばいいというものではありません。不要なことは書かなくていいわけです。
   では、何が不要なのか。それはその文章で伝えたい「結論」から判断します。

例えば、離婚の事件で、夫からDVを受けたことを離婚の理由として主張したいとします。その場合、端的に言えば、夫からされたDVを時系列で書いていけば、伝えたい「結論」は伝わるわけです。なので、別にふたりがいつ出会って、いつ結婚して、子どもは何人いて、この子どもは何をしているか等は、不要となりそうです。伝えたい「結論」、これが文章の骨になります。

ただ、文章として書いた時に、淡々とDVされた事実だけを列挙して、そのDVが深刻なものとして伝わるか、それはかわいそうだと思ってもらえるかという問題があります。そりゃあ元々ラブラブだったところから急にDVされ出した方がかわいそうだし、子どもの目の前でDVされた方が悲惨なわけです。この辺りのディテールが文章の骨にくっつく肉になるのでしょうね。

ここで大事なのは、肉のつけ過ぎは厳禁だということです。離婚・DV事件の場合の「肉」として、子どもの存在に意味がある場合もあります。しかし、子どもに意味があるからといって、その子が何に興味があるかとか、何が趣味か等までは、記載としては過剰ということになるでしょう。子どもの個性までは、通常、離婚・DV事件の帰趨に直結しないことが多いからです。「肉」は伝えたい「結論」との関係で最小限に。